電車のホームで盲目の人とすれ違った。盲目の人はいつもしっかり前を向いている。次に見かけた時はギターを持ってたから「盲目じゃないんだ」と自分の中で訂正。出発後その人が車両に入ってきてギターを弾き始めた。そうか、目が見えなくてもギターは弾けるもんね。彼の歌は鉄板だらけの車両にいい感じにエコーし、適当に見過ごしていた外の風景も何か大切な一場面のように見えてくる。歌が終わってみんなが彼の差し出す空き缶に小銭を入れ始めた。私は2ペソ札二枚を通路側のボーに渡した。ボーが空き缶にそれを落とすと「ストッ」とほとんど音もなく、彼の手にも限りなく無に近い重量のそれが落ちた。彼はボーが何かを入れる気配には気づいてたけど、その「ストッ」の瞬間「エッ?」と戸惑ったのが分かった。そうか、目が見えないから小銭のチャリンは分かるけどお札じゃ入ったのかどうか分かんないし、他の人の何倍もあげたのに彼はこれが本当にお札で、いくらなのかも分からないのか。小銭を沢山渡した方が良かったね。
以前聞いた話で、盲目の人が大人になってから(手術で)初めて目が見えるようになったんだって。その人がスープを飲んでいる時「中に動くものがある」と言うんだけど実際は何もない。「何か鉄のような動くもの」。それは天井からぶらさがっているファンがスープの中に映ってただけだったんだって。目が見えないというのは本当に想像するのが不可能だ。
2008/02/22
見える、という事
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